古き風習を大切に、技術が継承されていく
「高島」の魅せる「職人」の技。
伝統工芸 和ろうそく近江手造り和ろうそく 大與
三代目 大西明弘さん
職人暦 40年以上
滋賀県の指定伝統工芸品である”和ろうそく”。
和ろうそくの原料は漆や櫨の実から採取される植物性の自然の恩恵を受けた蝋です。
櫨のろうそくが灯す光には、風に強く、長時間美しくゆらめき続ける特徴があります。
その伝統的な技法を受け継ぐ「大與」の三代目大西明弘さんに和ろうそくにかける思いを伺いました。
職人の道に進んだきっかけは?
子供の頃から「長男は家を継ぐもの」と言われ続けていました。
だから、家業を継ぐのが当たり前と思っていました。
当時は、そういう時代でした。
ものづくりする上で
一番意識していることは?
正直に造ること。
和ろうそくもまた、製造に手間がかかりコストも高いものです。私は以前、大量生産・大量消費の時代でこういった家業を続ける自信がありませんでした。しかし、何百年にもわたり先人たちが積み重ねてきた工夫に、私の新しい工夫を重ねて灯された火は、やはり美しいものです。
そういう価値を、時代を超えて守り続けたいと考えています。
一人前になるには、どのぐらい
修行期間が必要なのでしょうか?
10年。
和ろうそくの製造工程は非常に多岐にわたりますが、代表的な工程は4工程。「手掛け」「下掛け」「荒掛け」「上掛け」です。
特に重要なのは灯芯に蝋をかける「手掛け」という工程で、原料の配合や外気温、加熱中の蝋の温度の見極めが必要となり、難しい作業と感じます。これら一連の流れの十分な習得には、およそ10年程度かかります。
商品の魅力を教えてください
自然素材を使用し1本1本手造りで作っており、一般的なもの(洋ろうそく)より燃え方が綺麗です。誰にでも、ひと目で違いがわかるほどです。
違いは「原料」の違いであり、洋ろうそくが「石油」を精製した化合物であるのに対し、和ろうそくは漆や櫨の実から採取する植物性の蝋を使います。
化合物と比べると生産効率が悪くコストは高くなりますが、明るく、風に強く、燃焼時間が長く、しかも油煤がほとんど出ません。環境にも、体にも優しい、癒やしの灯火といえます。
制作過程で一番難しい、または苦労するところはどこでしょうか?
季節により変化する気温や湿度等に対応すること。これが一番難しいところです。昔ながらの製法に工夫を重ねて作り続けているが故の苦労といいますか。ただ、変化し続ける環境の中、多くの職人の工夫を見て習い、技術を自分のものにして、そして自分の新しい技術を生み出してゆく事は、職人にとってかけがえのない経験であると思います。
これまで仕事をしてきて、一番嬉しかったエピソードはなんですか?
皇太子殿下の前で仕事をお見せできた時は、とても嬉しくて感動しました。たくたんの先人たちが研究・工夫を重ねた上で選び続けてきた旧来の材料こそ『一番良い』と本心から思えた経験でした。
サイトをご覧の皆様へ伝えたいこと
私たちが作っているものは、櫨蝋100%の純植物性和ろうそくです。和ろうそくの中でも最良の物と思います。大変きれいに燃えます。
また、色ろうそく、絵ろうそくなどの遊び心や、先人たちが愛し、今なお工夫が積み重ねられている和ろうそくの灯のあたたかみを感じて頂ければ幸いです。
伝統工芸 雲平筆攀桂堂
第15代目 藤野雲平さん
職人暦 50年以上
滋賀県の指定伝統工芸品である”雲平筆”。創業400年以上の歴史を持つ伝統製法「巻筆」を守り続けて広く愛されています。
芯毛を上質の和紙で巻き固め、その上に上毛をかけて麻毛で締めるという製法の巻筆は、
腰が強く、力強い筆線が出るのが特徴で書道家から人気が高く、滋賀県を代表する「技」です。
今回は、15代目藤野雲平さんにお話を伺いました。
職人の道に進んだきっかけは?
代々守られてきた家業の道を継ぐことが当たり前だったので、自分自身もこの400年以上続く歴史の中で守り、継承し紡ぎたいと思っていました。中学生の頃、藤樹書院へ勉強に来ておられた方が、父(十四世雲平氏)の筆づくりを見て、『お前も後を継ぐのか。はじめて作った筆は私が買うよ』と言っていただき、見様見真似ではじめて作った筆を買ってくださいました。その方との出逢いがあったから今筆を作っているのかなと思います。
ものづくりする上で
一番意識していることは?
書く人の好みに合わせることを意識しています。
羊毛や鹿毛、イタチ毛などの毛を選別して筆の形にしていく「芯立て」。動物ごとに毛の特徴が異なり、個体によって毛の質も微妙に違うため、原料の見極めが難しく、この芯立てで筆の良し悪しが決まります。柔らかいものや弾力のあるもの、粘りがあるのものなどを交ぜて目的の書き味を作り出します。
また、社会の変化や他種の筆の隆盛で苦しかった時期に技術を繋いだ先代の努力を受け継ぎ、私たちにご期待頂いている皆様の思いに応え続けてゆく事も、大切な責務と思っております。
一人前になるには、どのぐらい
修行期間が必要なのでしょうか?
最低10年必要です。
私は、18歳のときから筆作りを始めました。先代に弟子入りし、先代の作業を見て技術を身につけ、筆や使う方の目線を知るため、修行と並行して書道も習いました。
「尾締め」「紙巻き」「芯立て」など工程は全て手作業です。書く人の書体や好みもあるため、使い手の意をくみ取り作れるようになるためには、時間と経験が必要です。「習うより慣れろ」が先代の口癖でした。
商品の魅力を教えてください
1615年創業の攀桂堂は、国内で最も長い歴史を持つ筆屋となりました。私達の『巻筆』は芯に和紙を巻く作り方で平安時代からの非常に古い製法なのですが、現在主流となっている(江戸~明治期に登場した)水筆に対して腰が強く筆線が力強いという特徴を持ちます。代々の職人が工夫を重ねて育てて来た使い心地を、多くの方に味わって頂けると幸いです。
制作過程で一番難しい、または苦労するところはどこでしょうか?
中心となる芯を作る「芯立て」という工程です。
命毛から順番に切り分けた様々な毛を均一に混ぜて、すり切れた毛は半さしで取ります。混ぜ終わったらコマに入れて形を整えます。この作業によって毛がしっかり混ざり、筆先が洗われることで、先がまとまって書きやすい筆になります。
これまで仕事をしてきて、一番嬉しかったエピソードはなんですか?
「使って良かった」そう言ってもらえることが何より嬉しいです。
あるとき書道家から源氏物語を書くために150本の筆を依頼されたことがありました。源氏物語は無事完成、作品は宇治の平等院へ奉納されたのですが、その際、150本の筆も共に納められました。
作品が評価されることがあっても、その道具にまで目を向けてもらえることはあまりないのでとてもうれしかったです。
サイトをご覧の皆様へ伝えたいこと
おかげさまで、昨年、創業400年を迎えました。代々受け継がれてきた技をこれからも守って次世代につなげていきたいと思っています。
高島扇骨鈴木扇子店
鈴木久人さん
職人暦 16年以上
安曇川流域に自生する良質の竹材を利用して約300年前に始まった伝統工芸「高島扇骨」。
出来上がるまでに大別して20工程以上、更に細かく分けると80を越える工程を経ています。
そのほとんどが今も熟練の職人による手作業で一本一本丁寧に作られておりその工程ごとに分業になっています。
鈴木扇子では竹の伐採から扇子完成までの工程をすべて手掛けています。
職人の道に進んだきっかけは?
就職活動もしていたのですが、私自身もともとモノづくりが好きだった事もあり、代々受け継がれてきた家業を継ぐ道に進みました。
ものづくりする上で
一番意識していることは?
私が作ったモノがお客様に使って頂けるという事、お客様が品物を使って下さっている状況・情景を常にイメージしながら作り続ける事です。
作り手側だけの思いを押し付けるのではなく、使う方、お客様目線に立ち製作することで、より使いやすくなるように意識しています。
一人前になるには、どのぐらい
修行期間が必要なのでしょうか?
一般的には10年と言われていますが、
一生修行だと思っています。
私は職人になって16年経ちますが、ベテランが多い世界の職人としてはまだまだで、自分の成長を感じている様な余裕はありません。
商品の魅力を教えてください
高島の扇骨(扇子の『骨』の部分)を使った扇子は、使って頂く時に感動を感じて頂けるものであると思っております。
現在、有名観光地や百貨店も含め日本国内で販売されている扇子の殆どに外国産の扇骨を使われていますが、これらは骨の重ね合わせ方や紙の貼り方が伝統的な日本の製法とは異なるものです。
私たち高島の職人が作るものは、紙が無い骨の部分でも風を集め、要部分の強度は高く、紙は骨から剥がれにくい向きに貼られる事で、ひと扇ぎで吹く風の量が多く、末永く使えるものです。また、近年ではデザインや香りづけにも新しい要素を加えています。
永年におよぶ日本の職人たちの工夫が詰まった扇子と『風』の魅力を、ぜひ味わってください。
制作過程で一番難しい、または苦労するところはどこでしょうか?
天候によって左右される工程があるところです。
例えば、扇骨の材料となる『竹』を乾かす作業は、湿度の少ない季節に店の外で天日干しで行うのですが、勿論雨の日には出来ません。かと言って、晴れの日の場合でも気温が上がりすぎると竹が変形してしまい、使用できなくなります。気温が高くなりやすくなった近年は、神経を使う事が多いですね。
これまで仕事をしてきて、一番嬉しかったエピソードはなんですか?
日本一の扇子屋でも作れないものを作ったことです。
真田幸村の軍扇のレプリカ(現物は松江城に保管)は、細部にまでこだわり当時のものを再現しました。
サイトをご覧の皆様へ伝えたいこと
魅力の部分でもお伝えしましたが、是非一度手に取って使ってみてください。
永年の職人たちが積み重ねてきた工夫、細部までのこだわり、丁寧な仕事。日本製の良さがわかっていただけると思います。
発酵食品醸造・淡海酢
福井順一さん
職人暦 43年以上
200年以上の歴史を持つ、滋賀県唯一の酢醸造場。
古文書を元に江戸時代の製法を再現し、酒を原料に静地発酵で天然醸造酢を製造販売しています。
古きを守りながら、時代に合わせた商品を販売している「淡海酢」の福井代表にお話を伺いました。
職人の道に進んだきっかけは?
淡海酢は遥か江戸時代から代々続いてる滋賀唯一の酢屋です。中学生の時に東京農大の柳田先生が1ヶ月近く泊まり込みで指導に来て頂き可愛がっていただきました。
物心ついたときから、後を継ぐことを意識していました。
自然な流れで後を継いで私で三代目になります。
ものづくりする上で
一番意識していることは?
自然の味を大切にし、香料、着色料、保存料、化学調味料等の添加物を使用しない。今更量的な拡大を望むよりも細々とでも良い質のものを作っていきたいと思っています。どんな方にも安全、安心して食べていただけるように、「自然」であることを大切にしています。
一人前になるには、どのぐらい
修行期間が必要なのでしょうか?
糀作り、甘酒造り、アルコール発酵、櫂入れ、酢酸発酵、菌類の扱い、酸度計測、アルコール計測、味覚テストの習熟、整理整頓、清掃、報告、連絡、相談、容器洗浄、濾過、調合、原材料の見極め、保管、衛星管理、作業手順の習熟、ラベル貼り、各種機械の取扱い、得意先への配達、梱包、賞味期限の管理、商品説明等が完璧にできるようになって一人前となります。
発酵基礎知識、一般常識、料理基礎知識、衛生知識、品質表示基準の知識が必要となります。
商品の魅力を教えてください
近江高島の雄大な自然、琵琶湖の恵み、こだわり米と比良山系のわき水を使用、「高島」の風土の恵みを活かした商品です。弊社の歴史は遙か江戸時代にまでさかのぼります。古文書を元に江戸時代の製法を再現し、酒を原料に時間を掛けた静地発酵で添加物を使用しておりません。後味がスッキリしているのが特徴です。
制作過程で一番難しい、または苦労するところはどこでしょうか?
麹造り、アルコール発酵、酢酸発酵など複数の菌が順番に働き独自の風味を生みだす。それぞれの菌の力を引き出すこと。
何度も確認を重ねながら、引き継がれた風味を生み出します。
これまで仕事をしてきて、一番嬉しかったエピソードはなんですか?
購入されたお客様から「こんなまろやかな美味しい酢ははじめてです」と言っていただいたことです。
弊社にしか作れない、弊社だからこそ作れる、高島の環境だからできることを大切にしています。
サイトをご覧の皆様へ伝えたいこと
お料理はもちろんですが、美容と健康のために果糖入りの飲む酢をおすすめです。ぜひ一度ご賞味ください。
帆布細井袋物
メンバー3名(38~41)
職人暦 平均15年
高島の織物に適した気候から生み出される高島帆布。
経糸と緯糸が1本ずつ、かわるがわる交じり合う、とっても丈夫な厚手の平織りの布です。
船の帆や鉄道貨物のシートなどで使われていた素材を使用し、「袋物」をキーワードに
ひとつひとつ丁寧に手作りされる「温もり」を感じる商品が人気の細井袋物の皆様にお話を伺いました。
職人の道に進んだきっかけは?
先代が家業として営んでいた縫製工場を手伝うようになったのがカバン作りを始めるきっかけです。
ただし、そこでは得意先からの注文品を指示書通りに仕立てて納めるばかりが仕事でした。
現在のように、オリジナルのアイテムを手掛けるようになったのは、先代が仕事をリタイヤしたことにより業態を見直し始めた時期(6年前ぐらい)からになります。
ものづくりする上で
一番意識していることは?
個々のアイテムによって表現したいことに違いがあります。
ただ全体を通して大事にしているのは「素材の魅力を引き出す」ことと、「実用性を置き去りにしない」ということです。
一人前になるには、どのぐらい
修行期間が必要なのでしょうか?
目指すところにもよりますし、個人差もあると思います。自分達の場合は、「修行」というより最初から「仕事」としてモノづくりに関り、日々の作業を積み重ねながら技術を習得していきました。また、今はチームとしてひとつのアイテムを協力しながら作るスタイルなので、何もかも一人で作り上げるような「職人」であるという意識はあまり無いんです。
商品の魅力を教えてください
お使いいただく方の暮らしに永く寄り添えるように機能性や耐久性を大切にしながら、高島帆布の良さを感じていただけるようシンプルにデザインしているところです。
制作過程で一番難しい、または苦労するところはどこでしょうか?
色んな意味でバランスには気をつかいます。
サイズバランスも当然ですが、機能面に関しても欲張り過ぎて使いにくくならないかなど、足し引きを繰り返しながら製作しています。
これまで仕事をしてきて、一番嬉しかったエピソードはなんですか?
やはり自分たちが作ったアイテムをお客様がご愛用頂いているシーンを目にした時です。
サイトをご覧の皆様へ伝えたいこと
私たちが作るカバンを通じて、高島帆布の魅力に触れてみてください!
高島ちぢみ高島晒協業組合
工場長 奥 佳弘さん
高島の織物に最適な自然環境と気候から生み出された「高島ちぢみ」。江戸時代末期から続く歴史ある織物です。
高島市内の8の織物業者から構成され、織られた生機(きばた)を協業組合の工場で漂白、
染料加工されたものだけに「高島ちぢみ」という商標が付けられています。
今回は協業組合の工場長にお話を伺いました。
「高島晒協業組合」はどんな施設?
簡単に言うと、市内の機屋(はたや…織物工場)さんから仕入れた織物を晒(さらし)に加工する工場です。
『機械』の部分に限って言うと、晒の独特な風合いを出す工程には膨大な熱量や染色の機械が必要であり、巨大な機械を運転する工場が必要です。同時に、これらの工程が環境に与える負荷を最小限に抑える為の浄化設備も重要で、当工場では人口20,000人規模の町の下水処理に匹敵する能力を持っています。
晒の生産に限っていえば、これだけの機械を動かしている工場は日本国内では唯一、その他は、世界で見ても中国で2箇所ほどの筈です。
そんな、珍しい工場が高島にある理由は?
もともと、日本全国には伝統的に織物工業が盛んな土地が点在していました。織物工業は原糸製造業も機屋(はたや…織布加工業)も染色業も縫製業も小規模な家内制手工業で担われてきており、高島もまた例外ではなかったのです。
こういった織物業は戦前まで日本の代表的産業であり全国に散在していたのですが、戦後しばらく経つと、織物業は人的コストが安価である「辺鄙な場所」への移転が進む様になりました。
「このままでは織った布を染色・加工する会社が遠くなり、輸送コストが高くなって困ってしまう」・・・そう考えた高島の機屋が集まって共同出資を行い、昭和29年(1954)に高島に晒への加工設備を持った当施設が誕生しました。
高島では晒を一貫生産出来る体制が確立、その後も維持され、昭和30~40年代にかけての最盛期を迎え、昭和50~60年代には世界的に高まった評価と円安の相乗効果で活発な輸出を支える事になりました。
地域の機屋が集まってこのような工場を立ち上げた・・・という事例は日本国内の織物業が活況だった当時でも珍しかったかも知れません。
私が知る限りでは、国内で類似の施設が現存している織物産地は高島以外では1箇所です。
また、晒の産業に関していえば、高島と同規模の機械を持つ産地は国内には無くなりました。
産業の『担い手』は貴重ですね
そうですね。
織物工業全体で見ると、高島市では1980年時点での事業所が500社ありましたが、2010年代にはその1/10まで減少しました。従業員の減少はそれ以上で、7,500名から500名程度まで減少しているんです。
晒においても事業所は最盛期に対して1/3まで減っていて、数字の上で見ると厳しい状況といえるでしょうね。
一方で、当地は伝統的に織物工業が盛んだったからでしょうか。当社の仕入先は、中小規模、あるいは家庭内工業規模の事業者である機屋さんが多いのですが、比較的順調に「代替わり」されている様です。同様に、我々の工場で働いている方も、以前は市外の従業員が多かったのですが、現在はほぼ全員(1名除いて)市内の方ですね。うん、ほぼ「ALL高島」です(笑)
製品の魅力を教えてください。
晒は強靭な撚り(より)が特徴的な織物です。
この撚りは、見た目の美しさだけでなく、生地に強靭な復元力をもたらし、製品を型くずれさせません。さらに、無数の凸凹が肌と生地の接触面を最小にとどめる事で、製品を身につけた時に圧倒的な涼しさ・爽快感を感じさせてくれる効果があります。
高島ではその様な製品が江戸時代から現代まで脈々と受け継がれ、その技術は、間違いなく世界最高であり、安全性も抜群です。
大切な方への贈り物にも、毎日の自分へのちょっとしたご褒美にも、ぜひ、高島の晒製品をご活用下さい。